・物理的な江戸切子と薩摩切子の構造の違い ・江戸切子と薩摩切子の歴史 ・江戸切子と薩摩切子の値段の違い |
薩摩切子の素材の製法薩摩切子のガラスの製法ですが、固まる前の透明なガラスのコップの底の部分に、逆向きに色つきのコップを付けます。 次に色つきのコップの生地を透明なコップに覆いかぶせるようにしてくっつけて二重構造にしています。 ゆえに2個分のコップのガラスの厚みがあります。 3D的な厚みの観点で言えば江戸切子には絶対に無い特長です。 手触りがゴリゴリした感触が心地良く江戸切子には無いポイントだと言えます。 江戸切子の方ではカットをかなり深掘りすることでエッジの利いた触り心地良さがあります。 薩摩切子は凸を楽しめて、江戸切子は凹の部分を楽しめるようなイメージかと思っています。 |
江戸切子の素材の製法江戸切子はグラスの型の鋳物にまずは薄く色のついたガラスを吹き付けます。 その上から透明なガラスを吹き付けて二重構造にしています。 元々は鋳物からガラスをはずす際に「ポカン」と音がするのでポカン工法と呼ばれていました。 今では技術が進歩してポカン工法より上位の製造方法が考案されて二重構造のグラスが製作されていますが、基礎としてはポカン工法と同じものです。 これは薩摩切子のガラスとは製法が異なるものです。 |
カット面の違いカット面についてもご注目下さい。 左の江戸切子系統の切子はくっきり細いカットの線が出ています。 右の薩摩切子はカットした部分と色の境界が曖昧で全体的にぼやっとした印象です。 これを薩摩切子では「ぼかし」と呼んでいます。 色の境界があいまいなグラスは、外国の製品でも多くあります。 個人的には江戸切子の方が日本の独自性があると言えるような気がしますが好みでみなさんも選択すると良いと思います。 自分が気に入った切子を選択することが重要です。 カットは江戸切子も薩摩切子も工業用の切削機材で大きく削る方法は同じです。 切削機材は各々の工房で特注の物を使用しているかと思います。 私は過去何社か見てきましたが、同じ切削機材を使っている工房はありませんでした。 また、どのようにカットして仕上げていくかは個々の工房による違いが重要になってきます。 例えば、江戸切子という枠組みの中でも工房ごとによってカットの角度は違います。 山が高ければ谷の深いエッジの利いた手触りの良いカットになります。 また浅い角度で削れば色を取りながら幅の広いカットができるので、山の高いカットとはまた違った表現が出来ます。 工房ごとに道具も違えば、カットの方法も違いますし、磨く方法も違います。 工房の特色によって出来上がる切子もだいぶクオリティが違ってきます。 工房ごとに必ず特色があるので、その中から何を選択するかはユーザーであるみなさんの自由です。 多様性があり、選択肢が多いことはユーザーにとって良いことです。 |
切子の世界の全体像日本国内には様々な種類、名称の切子(カットグラス)が存在しております。 例えば、愛媛のぎやまんと呼ばれるものも切子だったりします。 江戸切子と薩摩切子も切子という大きな枠組みの中の切子のひとつのブランドの種類です。 イメージとしては以下の通り。 ドトールとスターバックスのような関係です。 どちらもコーヒー飲めるし、店内の雰囲気も似てるからから何が違うの?と思う感覚に近いかもしれません。 大きな枠組みは同じでブランドによる違いという感じです。 切子(カットガラス)では無いですが、ガラス関係で言えば、津軽びいどろ(青森)、萩ガラス(山口)、倉敷ガラス(岡山)、琉球ガラス(沖縄)などが日本の地域ブランドとして存在したりもしてますね。 |
江戸時代の商品カタログ公的に証明できる資料として加賀屋のビードロの資料が残っています。 そこに透明なガラスにカットを施した江戸切子の絵が残っています。 江戸時代の引札、当時のカタログにあたる資料が現存しています。 様々な硝子製品が記載されているカタログです。 中心からちょっと右下らへんが江戸切子の製品の部分です。 |
江戸切子の昔の製法江戸時代の当時は木の棒に金剛砂(こんごうしゃ)という目の粗い砂を水に混ぜたものを塗布して削っていたそうです。 製作日数も今と比べて遥かに長かったそうです。 昭和まで、金剛砂(こんごうしゃ)という粗い砂を水に混ぜて削る方法は行われていました。 私の師匠のさらに師匠から聞いた話では、一日中回転する木の円盤に金剛砂を流し続ける仕事を3年していたそうです。 気が抜けて金剛砂の流すのを止めてしまうとカットしている師匠によく怒られたとおっしゃっていました。 わけがわからなくなりそうなので図にしました。 |
会長の貴重なお話江戸切子の工房で修業していた時の高齢の会長からお聞きした江戸切子の歴史をそのままお伝えします。 加賀屋や在原屋などの昔ながらの江戸切子を作っていた会社は消滅し、その会社独自の技術等の継承はありません。 しかし、職人個人個人単位での技術の継承は行われていました。 明治時代(1868年~1912年)になって品川ガラス工業所の9人のガラス職人がイギリスから来た技術者からカットの技術を学び、その技術を広めて今に至ります。 1984年(昭和59年)にアメリカやヨーロッパからカットグラスが大量に入ってきました。 日本のカットガラスの技術が消えようとしていました。 それを危惧して東京ガラス製品組合のあと押しで、組合が東京都に申請して江戸切子が伝統工芸品に指定されました。 当初は透明なガラスばかりにカットしていました。 しかしカット技術を強調できる色被せガラスを考案し現在の形になりました。 カットをすると表面の色付きの硝子が無くなり、下の透明な部分が現れてグラデーションになるというものです。 この二重構造のガラスを「色被せ(いろきせ)ガラス」と言い、江戸切子には欠かせないものです。 色被せガラスについては「切子とは」のページに作り方と構造を写真付きで丁寧に説明してあります。 合わせてご参照下さい。 この話は当時修行していた江戸切子の工房のご高齢の会長が直々に教えて下さった内容で、とても貴重な話です。 |
大元はポルトガルの技術?1639年~1854年まで日本は鎖国をしてきました。 それでもその間に長崎の出島ではポルトガルやオランダと交易してきました。 ポルトガルでも古くからのカットガラスが存在します。 ポルトガルのカットガラスを見ると、日本のカット技術に近いものを感じます。 なので、ポルトガルからカット技術が入ってきたものだと私は推測しています。 文献によってはオランダ人の本から薩摩藩士が学んだという記述もありますが、真偽は今となってはわかりません。 いずれにせよ、カットガラスという発想は出島を通して海外から持ち込まれた概念であることは間違いありません。 江戸切子と薩摩切子の歴史としては1800年頃に公的な資料が残っているというだけで、1800年頃にいきなりその技術が確立されたとは考えにくいです。 公的な資料は無いにしろもっと古くからカットガラスの技術の進歩は行われてきたのだと推測されます。 |
江戸切子薩摩切子違いまとめ江戸切子と薩摩切子の同じところ
江戸切子と薩摩切子の違いの部分
|
起源はどちらが先?起源として、江戸切子と薩摩切子のどっちが先?という質問もあります。 公に証明するなら、江戸切子の方が公的資料が早く残っているので江戸切子が先という認識です。 しかし、その差は10数年しか違いが無いので、ほとんど同時期にポルトガル、あるいはオランダから入ってきた技術という認識になるかと思います。 |
〒359-1128
埼玉県所沢市金山町11-11
E-mail:kirikoshinkou@yahoo.co.jp
インボイス制度登録事業者
お問い合わせのご返信について
・基本的には土日祝日をのぞく、8:00~17:00の時間にてご返信させて頂きます。
お客様にご心配をおかけする事項だと判断した場合は、上記時間帯以外でも取り急ぎ早急にご返信する場合もございます。
・公式ホームページ ・amazon ・ヤフーショッピング ・minne ・creema |
でオンラインで販売しております。
普段使い慣れているショッピングサイトがあれば、そちらを利用頂いても構いません。
現在、関東圏内にも製品を出荷しているので、ショッピングモール等の店頭でも当工房の製品を購入できます。
支払方法
銀行振込とクレジットカード決済とコンビニ払いが可能です。
支払い方法の詳細は「送料・のし紙・桐箱について」をご覧ください。
・クレジットカード決済
ご利用可能なクレジットカード
お支払い方法は「一括払い」「リボ払い」「分割払い」からお選びできます。
・セキュリティコード(券面認証)について 「セキュリティコード」の入力が必要となります。カードの署名欄の隅に印字された3ケタ(または4ケタ)の数字となります。
・コンビニ払い
全国の
・ローソン
・ファミリマート
・ミニストップ
・セイコーマート
でお支払い可能です。